puddle hopper



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豪雨でない夏の日に豪雨でない場所で
ぼんやりとあなたのことを考えている。
ぼんやりと、なんとなくだけれども、しかしはっきりと考えている。
よく知っているだけでなく、実によく伝わっている。

他人の輪郭は言葉や行動によって伝えられたその思考によって
こちら側の内部にかたちづくられる、
だからこそ人を知るにはその内面が必要なのだ、
外面は判別のためのイメージである。

たまごうどんをつくる。
炭水化物とたんぱく質のかたまりとたんぱく質のとけた液体を
アルコールで荒れ果てたわたしの胃に落とすのだ、
それは柔毛におおわれた器官によって身もふたもなく素直に吸収され、
今日の夜おおよそは19時すぎくらいまではわたしの体を動かす力になるだろう。

さわがしいテレビは見ない、
えらばれるチャンネルはいつの時も決して多くはない。




white








7月の迷子
夏が好き。



自律神経のはたらきが弱く喘息もちのわたしにとって、
気圧の変化や低い気温というのはとてもこわい。

日本にはすばらしいことに季節が4つもあるけれど、
気圧の不安定な春と秋、気温の低い冬をのぞくと、
まともに活動できそうな季節は夏だけ、ということになる。




5月ごろになるとすこし気候が安定してくる。
若葉が芽吹いて空は青くなり、すべてのものがきらきらして見えて、
わたしは夏の予感にわくわくしてたまらなくなる。

もうすぐ秋と同じくらいにつらい梅雨がやってくるとわかっていても、
初夏のすばらしい期待感は、
毎年かならずわたしを浮かれさせてくれる。

したしい人々に「海へ行こうよ!」とねだるのは、たいていこの頃だ。
おかしなもので、7月や8月になるとめっきり言わなくなる。

5月ではまだすこし早いと思うのか、海までつきあってくれた人はいない。
うきうきしているので、ひとりで行くようなテンションでもない。
だから、わたしは5月の海をよく知らない。



7月も終わろうというのに、
わたしの住んでいる地域はまだ梅雨明けの宣言をいただけない。

気圧の変化も夏にしてはおかしいくらい不安定で、
どうにも体調がすぐれない。
たまに晴れたりはするけれど、湿気や気圧はずうっと梅雨みたいだ。

夏はいつ来るのだろう、妙な感じがする。


Nelumbo nucifera







水のおと
 雨がとても好き。

 しとしとと降る音、なにかにぶつかってぱたりたちりとたてる音、
 遠くの車がたてるしゅわーっという音、
 しめった土のにおい、表情を変えるコンクリート、
 すずやかな空気、うすあかるく白っぽい光、
 きゅうに元気よく深まる緑、はなびらの上にのった水滴、

 ほかにもいろいろの、雨が生みだすものが心地よくて、
 だから雨が好き。

 なによりも、
 いま自分の見ることができる世界はくまなくみんなずぶぬれ、というのが、
 なんだか可笑しくていとおしいような気持ちがしてくる。

 体質で気圧の変化に弱いものだから、
 雨の前日や当日はいちじるしく体調が思わしくない。

 それでも、
 空から水が降ってくるというこのイベントはとてもすばらしいから、
 お部屋のなかでじっと耳とすませたり、
 ときどきはすこしだけ散歩へ出ていったりもする。

 すてきな雨傘を持っていたら、もっと雨の日がたのしいかもしれない。
 イイダ傘店の雨傘をさして散歩をするときがきたらいいな。 
 シンプルですてきなレインブーツもほしいな。
 ものはいろいろな状況をよりたのしくいろどってくれる。

 ただ雨のさまざまな音を聴くのもいいけれど、
 すきな音楽のなかに雨の音を溶かしこみながら聴くのも
 ふしぎな情緒が加わって、とてもいいなあと思う。

 今日聴いてたのは、こんな音楽。
 
playlist
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 このごろは天気の良い日がつづいていて、
 それもたのしかったけれど、
 しずかな梅雨もたのしくなりそうな気がする。

 そのむこうがわには、もう夏だね。


つくろいもの
靴下や服の繕いをするのがとても好き。

ちくちくと針を進めること自体もたのしいのだけれど、
そんな作業をしながら、まだこれとつきあっていけるんだなあ、というちいさなよろこびが、
ふつふつと浮かんでくるのがまた、とてもいい。

ちいさなよろこび。
それがわたしにとっていちばん大切なことで、いちばん基本にある。

料理をする。掃除をする。洗濯をする。
ちいさなものをつくる。おふろに入る。靴をみがく。繕いをする。
生活をすることは、ちいさなよろこびにあふれている。

上質なもの、本質にふれるもの、心のこもったもの、
定番のもの、向こう側に人間を感じるもの。
高いものも安いものも、新しいものも古いものも大好き。
彼らは私の生活に何の違和感もなくとけこんで、彼らも生活もよりかがやく。

文化とはそういうものだと思っている。
生活という人間の基本を、より良くするためのもの。
文化のために生きているのではない。

なければつくればいい、という気持ちを忘れないで、
ものや洋服や音楽やアートを選んでいく。
そうすれば、名前に振り回されることはない。
本末転倒してしまうことほど、生活を空洞にするものはない気がする。

あたたかい心に充たされた生活、ちいさなよろこび。
私の心を正しく保ってくれるのは、いつもささやかで当たり前のものだ。
ふつうの、平凡な、それでいてみちたりたものほど、
もっとも得がたいものだから。

身の回りにあるものがみんな高価なものでも、きっと私は満足できないと思う。
愛すべきものに囲まれて、それらを愛しながら暮らす。
それが私の理想の生き方だ。

お皿が修復できないくらいこなごなに割れたら、
ヘッドフォンがどうやっても聴こえなくなってしまったら、
お別れが悲しくて涙を流すような、そんな日々を送りたい。

ものに執着するのが悪いことだとは思わない。
私は、人を愛するように、ものを愛すべきだと思う。

修理から帰ってきた靴に、
「おかえりなさい、またよろしくね」と心のなかでつぶやく。
そんなちいさなよろこびを、大切にしたい。



このティッシュケースは、手縫いでちくちくと縫った。
もとは混麻のノースリーブカットソーだった。
いまはちょっとしたピンチのためにいつも待機してくれている、
かわいらしくて頼れるともだち。
これからはもっと使えなくなってしまったものを
うまく変身させていくアイディアを持てるようになりたいな、と思わせてくれた。

ていねいにえらぶこと、自分でつくること、大事に使うこと、
そして、生まれ変わらせてさらに使うこと。

そういうサイクルをさりげなく上手にできる人になれたら、
きっといまよりもっと、生活することが楽しくなりそうな気がしている。



case








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